2016年03月11日
5年の年月
このところ、インフルエンザにかかり、ずっと伏せっていた。
やっと、昨日から熱が下がってきて、楽になってきたところだった。
そんな中で,今年もまた3月11日を迎える。
あの日から、もう5年がたつ。
自分の中では発生直後に職場で見たテレビの映像がクリアに
残っている。
そして、哀しみや痛み、情けなさや申し訳なさが入り交じった
複雑な感情もある。
風化が叫ばれている。
あの頃、あれだけ取り上げていたメディアも、今日が近づかない
かぎりはおおきく取り上げることも少ない。
メディアが取り上げなければ、離れている人間には現状を知る
よしもない。
そのことが風化につながるのなら、きっとそうだろう。
ただ、あの大震災とそれに伴う津波、そして原発事故は、
我々が決してわすれてはならない出来事の一つだと思う。
未だに東北に向かうこともなく、日々を生きる自分を、
どこかでせめる自分もいる。
今日も黙祷をしながら、亡くなられた方々の冥福を祈り、
自分のあり方を考えていた。
何があっても忘れない。
何もできないかもしれないが、それだけは守り続けていきたい。
やっと、昨日から熱が下がってきて、楽になってきたところだった。
そんな中で,今年もまた3月11日を迎える。
あの日から、もう5年がたつ。
自分の中では発生直後に職場で見たテレビの映像がクリアに
残っている。
そして、哀しみや痛み、情けなさや申し訳なさが入り交じった
複雑な感情もある。
風化が叫ばれている。
あの頃、あれだけ取り上げていたメディアも、今日が近づかない
かぎりはおおきく取り上げることも少ない。
メディアが取り上げなければ、離れている人間には現状を知る
よしもない。
そのことが風化につながるのなら、きっとそうだろう。
ただ、あの大震災とそれに伴う津波、そして原発事故は、
我々が決してわすれてはならない出来事の一つだと思う。
未だに東北に向かうこともなく、日々を生きる自分を、
どこかでせめる自分もいる。
今日も黙祷をしながら、亡くなられた方々の冥福を祈り、
自分のあり方を考えていた。
何があっても忘れない。
何もできないかもしれないが、それだけは守り続けていきたい。